特殊神事と宝物・文化財

特殊神事と宝物・文化財

特殊神事

藤祭太々神楽講(4月29日)

氏子中の神明神楽の講員が御神楽を奉納し、営業繁栄や家内安全の祈願をした後、参集殿にて直会をしながら 境内の県指定天然記念物の藤の花を愛でるという優雅風流な神事です。以前は5月9日が祭日でしたが、 藤の開花時期が早まったため4月29日に変更して実施されています。

御燎祭(おかがりさい・旧暦10月末日)

昔から10月は「神無月」といわれ、全国の神々が出雲へおでましになるという信仰が古来広く普及しています。 当神社では、神様が末日の夜には神社にお帰りになるという信仰からこの御燎祭を斎行し、境内にて篝火を焚き神様をお迎えし、 あわせて氏子・崇敬者にこれより一年間火の災いのないようにと祈願祭を執行いたします。 当夜は古神札や古熊手などを持参した多数の参拝者が篝火にてお焚き上げをしますが、この火に当たると風邪にかからないといわれています。 晩秋を彩る当神社ならではの神事です。なお、出雲ではこの10月を神在月(かみありづき)といい、出雲大社の諸神事は現在でも旧暦によって行われています。 そのため当社でもこの神事を旧暦10月晦日にて斎行することとなりました。

縁起市(12月15日)

師走半ばの15日には境内で縁起物の熊手を売る露店が立ち並び、多くの参拝者が良縁を起こし(縁喜)、久伊豆大明神との結縁を祈願する姿が見られます。 元来、竹製の熊手は収穫物を掻き取ることから縁起のよい道具として農民に尊崇されてきましたが、これが普及し、当神社でも縁起市という神事となったのです。

五前神社と星祭(2月3日)

五前神社には久久能遅神(木)軻遇突智神(火)、埴安神(土)、金山彦神(金)、罔象女神(水)が祀られ、それが陰陽五行思想と習合して、 男女吉凶相性を守護し、また建築土木の安全を守護する神として古来信仰・尊崇されてきました。 二月の星祭(節分)の前後には厄除や方位除を本社に祈願すると共に、この五前神社にも多数の人々が参詣し、祈願をなさいます。

手水舎の登竜門

久伊豆神社の手水舎は延宝三年(1675)に建てられたと伝えられるものですが、とりわけ注目されるのが「登竜門」の彫り物が施されていることです。 「龍門」は言うまでもなく中国黄河中流にある有名な険所であり、この急流を登ることができた鯉などの魚は龍になると古来伝えられており、 日本でも「立身出世の関門」を意味する語として余りにも有名です。まさに龍に化身せんとする鯉の姿は参拝を前に手水を使う参詣者に相応しいものです。

手水舎の登竜門

江戸後期の国学者 平田篤胤大人

本居宣長と並び称せられる偉大な国学者平田篤胤大人(ひらたあつたねうし)は度々当地の門人山崎篤利(やまざきあつとし)宅を訪れるなど当神社とも縁が深く、 境内の一隅にある「旧跡平田篤胤仮寓跡」は大人の学問・憩の場と伝えられています。 また境内には昭和17年に建立された「平田篤胤先生遺徳之碑」があり、 さらには宝物として篤胤大人が当神社に奉納した「天岩戸の図」一面があり「此天岩屋戸図者探考古書自図令画工山里貞由写者也 文政三庚辰七月九日 平篤胤」 と記されています。 この篤胤大人に縁の深いものとして、境内には埼玉県指定の天然記念物の藤があります。この藤は昭和16年に埼玉県史蹟名勝天然記念物調査会 によって天然記念物に指定されたものですが、大人遺愛の樹で流山の門人たちが当神社に奉納したといいます。樹齢は約200年で株廻り7メートル、 花房は1メートルに及ぶものもあり、その偉観は天然記念物の名に恥じず、関東第一との称もあります。

第三鳥居

平成7年5月21日、第61回神宮式年遷宮(平成5年)で撤下された皇大神宮の内宮板垣南御門(ないくういたがきみなみごもん)を、 久伊豆神社に曳き入れる「越谷お木曳祭」が斎行されました。このときには神宮当局より最大の奉曳車(ほうえいしゃ)の借用が許可され、 また老若男女2000人以上が参加するという前代未聞の盛大なお祭りとなりました。 その後、同年9月には、太さ約60センチの木曽ヒノキ材を用いて高さ7.5メートル、幅8.5メートルの第三鳥居として再建されました。

手水舎の登竜門

三ノ宮卯之助銘の力石

力石とは力仕事を人力に頼らざるを得なかった時代において、力くらべをしたり、体力を鍛えるために用いられた石のことです。 三ノ宮卯之助は江戸時代後期に、三野宮村(現在の越谷市大字三野宮)出身で、力石や米俵などの重量物を持ち上げる興行を行いながら全国各地を回り、 日本一の力持ちと言われた人物です。興行先であったと考えられる神社などには、「三ノ宮卯之助」の銘が刻まれた力石が残されています。 越谷市内では越ケ谷久伊豆神社に1個、三野宮香取神社に4個、三野宮向佐家に1個の計6個が確認されています。 久伊豆神社の力石には「奉納天保二辛卯年(1831年)四月吉日 五十貫目 三ノ宮卯之助持之 本庁 會田権四郎」と刻まれており、 卯之助が24歳の時に、五十貫目(約190kg)の力石を持ち上げたとされる文字が刻まれています。

狛犬の足止め麻

家出や悪所通い、多忙な仕事などで家庭を顧みない家族との絆をしっかり結びなおしたいという願いを込めて、 拝殿前の狛犬の足に麻を結びます。古くから「足止めの麻」といわれております。

狛犬の足止め麻